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これを読めばあなたもそば通! 令和の時代から昭和5年の『蕎麦通』を読む< その42、惜しまれた名代の店 深川洲崎の笊蕎麦>

 手打ちそば 喜心庵のニュース

蕎麦通初版本「これを読めばあなたもそば通! 令和の時代から昭和5年の『蕎麦通』を読む< その42、惜しまれた名代の店 深川洲崎の笊蕎麦>」

蕎麦通初版本

 延享二年の春、江戸の流行物を集めた句集『時津風』は 時々庵の門人 反古斎菓然 の編である。その『時津風』には深川の笊蕎麦はいせや伊兵衛と記せられてある。その後安永十年に 俳人提亭 の撰『種おろし』という句集にその時代のはやり物目録があって、蕎麦切りには、
馬車道正直、駒形正直、新吉原釣瓶、浅草道好庵、境町福山、牛島長命寺、雑司ヶ谷薮の内。
 と相伍して深川洲崎笊蕎麦の名が挙げられていたが、『武江年表』の記事によると、寛政三年九月四日の高波に襲われて後断絶したとある。
(『蕎麦通』惜しまれた名代の店 より)

 今でこそ、ざるそばといえば、どこのそば屋にもある定番ですが、そのざるそばの元祖が、洲崎の笊そばです。
 この笊そばという店の名前も、お客がそう呼び始めたからで、本当の店名は、伊勢屋と言ったらしいです。
 後家さんが切り盛りしていたので、最初は後家そばと呼ばれていたのが、ざるそばが名物になると、ざるそばと呼ばれるようになりました。
 ざるそばといっても、海苔をのせたそばではなく、竹で編んだザルにそばを盛ったので笊そばと言っていたようです。当時は皿やおわんにそばを盛るのが普通だったので、珍しさではやったのかもしれませんね。
 ちなみに、ざるそばに海苔が載るようになったのは、大正時代頃です。
 寛政3年9月(1791年)の高波で流されてしまったそうです。台風だったんでしょうか、深川洲崎あたりの被害は特にひどくて、以来人が住むことも禁じられたそうです。

(次回は入谷の松下亭)

手稲区稲穂3条7丁目5-1

手打ちそば喜心庵
うどん・そば(蕎麦)[手打ちそば]

手打ちそば 喜心庵

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